Summertime1971その1 [航空鉄道事業局]
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東京オリンピックが終わり、
母が亡くなって三回目のお盆が過ぎ、
夏が終わる前に、
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Summertime1971キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!
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夏になると、幼い時のあの夏の事を思い出します。
それは50年前。1971年の夏のことです。
2度死にかけた夏。
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1971年(昭和46年)7月30日お昼頃、羽田空港にて。
1971夏その1へGO
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子供の頃、東京都杉並区に住んでおりました。
東京にいる間は毎年夏休みに家族で北海道へ帰省しておりました。
あの年もおじいちゃんおばあちゃんや、親戚いとこ、知人などに会いにワクワク北海道へ帰省しました。
1971年(昭和46年)7月30日、午後の羽田空港発千歳空港行きの旅客機に搭乗しました。
この年は仕事のある父を除き母と姉と私の三人で行くことになり、父は羽田空港まで見送りに来てくれました。
大好きな飛行機に乗るということでもう本当にワクワクドキドキ、当時機内では子供に搭乗機のプラモデルなどおもちゃが配られており、それが楽しみで楽しみで、飛行機に乗るのが待ち遠しかったです。
飛行機に乗っている間は本当にニコニコ至福の時間でした。
そして千歳空港に着いて、何だか空港が騒がしくなっておりました。
いつも親戚が空港へ迎えに来てくれるのですが、その時は確か比較的空港に近い五家族が車で駆けつけてくれておりました。
いつもよりたくさんのお出迎えで、何が何だかわからずにいると、
なんと、
私たちが搭乗した羽田空港発の飛行機と同じ時間帯に、反対側の千歳空港発の飛行機が自衛隊機との空中衝突事故で墜落したとのこと。
事故はニュース速報で流れたそうです。親戚はみんな驚いてすぐに空港へ駆けつけてくれたようです。
もう本当に驚きました。
父も私たち三人を羽田空港で送った後、職場へ向かうタクシーの中でそのニュース速報を聞いたそうです。
当時は今よりもニュースのスピードや正確性がちょっと劣っていたと思われますし、事故の性格上情報がいろいろ錯綜しますので、関係者は皆右往左往したものと思われます。
今思い返すと、その時の空港ロビーは物凄い大騒ぎで大変な状況であったと思います。
たぶん事故について私たち飛行機の乗客には空港に到着するまで知らされていなかったと思います。
航空史に残る大変な事故が身近でおきてしまい子供心ながら本当にショックでした。
事故機と同じ空に居たこと。
今でもこの事故の事を考えると、胸を締め付けられ、とっても複雑な気持ちになります。
今年この事故から50年を迎えました。
墜落現場となった岩手県雫石町の「森のしずく公園」では、事故の犠牲者の冥福と空の安全のため航空安全祈念式が行われました。
犠牲者のご冥福をお祈りいたします。
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全日空ボーイング727の絵葉書。
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史上最悪の全日空機雫石衝突事故
全日空機雫石衝突事故
1971年(昭和46年)7月30日
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機ボーイング727と航空自衛隊の戦闘機F-86Fが衝突し両機とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機ボーイング727は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。
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Summer Joe hisaishi
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Fun Boy Three - Summertime
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2021年7月。散歩道のラベンダー。
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今回はコメント欄を閉じさせて頂きます。
今、皆様のおかげで生きております。
Summertime1971その2につづく。
ありがとうございました。
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