真田幸村キタ━━━(゚∀゚)━━━!!! [報道局]
今回は歴女に大人気の真田幸村をご紹介させて頂きます。空前の真田幸村ブーム到来の予感。w
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旗印の六文銭は、「三途の川の渡し賃」のことである。「不惜身命」(仏法のために身命をささげて惜しまないこと)を意味し、何があっても覚悟の男であることを意味する。
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/___ゝ 淀殿ーーッ!!! 蟄居の身の私を、大坂へ呼んで頂き、
( ゚∀゚) 忝(かたじけな)く御座候(ござそうろう)!
し|◎|J 駿府(すんぷ)の大御所様が、また何か企んでいるご様子!
|  ̄ | いかが致しましょう! 御意(ぎょい)のままに!w
し ⌒J
Ψ/\Ψ
/___ゝ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(゚∀゚ )∩ < あんですって? 大坂城の守りはそなたに任せる?
(|◎| ノ \ 是非も無し? 人馬を揃えよ? 城、堅固に固めよ?
/  ̄ / \_____ ケラケラ ホントニ?w
し ⌒J
Ψ/\Ψ
/___ゝ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ゚∀゚ ) < そうと決まれば、マジで出城・真田丸を築城するよ!
m9っ彡 つ \ 憎き徳川家康率いる徳川軍と、一大決戦だ!
人 Y \____________ プギャーw
し (_)
真田幸村キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
六文銭キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
大坂冬の陣キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
大坂夏の陣キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!
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真田幸村の赤備え 躑躅ノ花盛ニ開クカ如シ 「松平家譜」
大坂夏の陣図屏風・右隻(大阪城天守閣所蔵)より、真田幸村の赤備えの部分を拡大。(Public domain:wikimedia)
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( ・∀・) 真田幸村の心意気 イイ
oノ∧つ⊂)
( (0゜・∀・) 真田幸村軍団の赤備え カコイイ
∪(0゜∪ ∪ 戦国最期の大決戦 大坂の役 マダー
と_)_) ワクワクテカテカ
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( ゚∀゚)彡 つまらん話は、どうでもいい! どうでもいい!
( ⊂彡 真田幸村の紹介、ハヤク! ハヤク!
| | 戦国時代もおっぱい! おっぱい!
し ⌒J
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/___ゝ∩ < 真田幸村も旗印の六文銭をかかげ、出陣いたす! ブーン
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U (::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーッ! 真田様ーーーッ!/
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/ ___ゝ∩ < 大坂城の出城・真田丸で、徳川軍を迎え撃つぞ! ゴルァ
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/三/| ゚U゚ |\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
U (::::::) ,,、,、,,, \オーーーーーーーッ!!/
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/ ___ゝ∩ < 戦の前に、六文銭ワッショイだ! ワショーイ!! ワショーイ!!
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U (:::::) ,,、,、,,,\ワショーイ!!/ \ワショーイ!!/ \ワッショーイ!!/
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(( (つ ノ(つ 丿(つ つ(つ ノ(つ 丿(つ つ
ヽ ( ノ( ヽノ ) ) ) ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) )
(_)し' し(_) (_)_)(_)し' し(_) (_)_)
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大坂夏の陣において、徳川本陣まで攻め込み徳川家康を追いつめた伝説の名将。
江戸期以降の講談や小説などにおいては、真田十勇士を従え徳川家康に挑む赤備えの武将・真田幸村として取り上げられた。
働き盛りを棒に振った不遇の男が、
( ´つω;`)
小が大を負かす為、不利を承知で豊臣方に味方
徳川家康との戦いに人生を賭けた
戦国の世の最後に、
派手に華々しく打ち上げた花火!
大坂の役
戦国最後の英雄
赤備え、十文字槍
歴女が選ぶ№1戦国武将
真田幸村とは
☆
真田幸村
本名は、真田信繁 (官位:従五位下、左衛門佐)
永禄10年(1567年)~慶長20年5月7日(1615年6月3日)
父は、真田昌幸 (官位:従五位下、安房守)、上田城主
母は、宇多頼忠の娘・山手殿(寒松院)
祖父は、真田幸隆 (官位:弾正忠)、武田二十四将のひとり
妻は、正室の大谷吉継の娘・竹林院(利世)と側室の豊臣秀次の娘・隆精院、堀田興重の娘、高梨内記の娘
子は、阿菊(石合重定室)、於市、阿梅(片倉重長継室)、あくり(蒲生郷喜室)、幸昌、なほ(御田姫、岩城宣隆室)、阿昌蒲(片倉定広室)、おかね(石川貞清室)、片倉守信(仙台真田家初代当主)、三好幸信、石田之親
☆
幸村誕生以後の、真田昌幸・幸村親子の年表
武田家家臣
永禄10年(1567年)、武田家家臣である真田昌幸(当時は武藤喜兵衛)の次男として生まれる。
永禄12年(1569年)、父・真田昌幸(武藤喜兵衛)は後北条氏との三増峠の戦いで使番を務める。
元亀3年(1572年)、父・真田昌幸(武藤喜兵衛)は武田信玄の上洛作戦に参陣し、同年12月の徳川軍との三方ヶ原の戦いに参加した。
元亀4年(1573年)4月、武田信玄が病死。父・真田昌幸(武藤喜兵衛)は、武田氏の家督を継いだ武田勝頼に仕えた。
天正2年(1574年)、祖父の真田幸隆が死去する。この時点には、既に真田幸隆の嫡男・真田信綱が真田氏の家督を継いでいた。
天正3年(1575年)、長篠の戦いで、武田勝頼率いる武田軍が、織田・徳川連合軍に敗北した。この戦いで、真田昌幸の兄・真田信綱と真田昌輝が討死した。真田氏の家督は真田昌幸が継ぐこととなる。真田幸村は父・真田昌幸と共に古府中(甲府市)より上州(岩櫃城)に移る。
天正6年(1578年)3月、越後の上杉謙信が病死。同年、越後の上杉氏と甲越同盟が成立する。
同年、父・真田昌幸は北条氏の所領であった東上野の沼田領へ侵攻。沼田城や名胡桃城などを奪取する。
天正7年(1579年)、父・真田昌幸は従五位下、安房守を叙任する。
天正9年(1581年)、父・真田昌幸は武田勝頼の命令で、新たに韮崎に築城された新府城の作事奉行を務める。
天正10年(1582年)3月、織田信長による武田征伐が開始される。織田・徳川・北条連合軍が甲斐侵攻。
父・真田昌幸は武田勝頼に上野吾妻への逃亡を進言し、岩櫃城へ迎える準備をしていた。しかし、武田勝頼は小山田信茂の居城・郡内岩殿城を目指して落ちのびようとしたが、その途中に小山田信茂の裏切りに遭い最期を遂げた。
同年3月11日、武田氏は滅亡した。
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武田氏滅亡後、
織田・北条・徳川・上杉などの傘下を渡り歩く
武田氏滅亡後、真田氏は織田信長の家臣となり、所領を安堵された。織田家の関東管領である重臣・滝川一益の与力武将となった。
織田氏に従属してから僅か3ヶ月後、
同年6月2日、本能寺の変で、織田信長が明智光秀に討たれる。
父・真田昌幸は滝川一益とともに神流川の戦いで北条氏に敗れる。滝川一益は命からがら本領の伊勢に引き上げてしまう。
天正壬午の乱。旧武田領における織田氏の勢力は衰退し、甲斐・信濃・上野の空白地帯をめぐり、徳川家康、北条氏直、上杉景勝らが争うこととなる。
父・真田昌幸は北条氏直に臣従し、北条氏の信濃侵攻の先手を務める。
その後、徳川家康の懐柔に乗り北条氏を裏切る。これにより、若神子において対陣する徳川と北条は和睦をよぎなくされる。徳川家康は和睦の条件として、北条氏直に対し上野の沼田領を譲渡するよう条件を出した。しかし、沼田領は父・真田昌幸が自力で獲得した領地であり、沼田割譲についての代替地が不明瞭であったことから、これに反発し、越後の上杉景勝に臣従した。
これにより、真田氏は豊臣秀吉の傘下に入ることとなった。
この後、真田家当主の息子である真田幸村は、諸大名の下を人質として転々とすることとなる。
天正11年(1583年)、父・真田昌幸は千曲川の北岸、沼、崖などの自然を要害とする松尾城(上田城)と、その周囲に城下町を築いた。
第一次上田合戦
天正13年(1585年)、第一次上田合戦が起こる。真田氏の制圧を狙った徳川・北条連合軍が真田氏の所領に侵攻。真田氏の居城・上田城には、徳川氏の鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉ら約7000の軍勢で攻め込んだ。沼田城には北条氏邦の軍勢が侵攻した。
しかし、この戦いで父・真田昌幸はわずか2000の兵力で大勝した。徳川軍の死傷者は1300人にのぼった。この時期、このような戦いが幾度かあったとされる。
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この第一次上田合戦の大勝により、真田氏は独立した大名として、全国的に認知されることとなる。
豊臣家大名
同年、父・真田昌幸は豊臣家に臣従し、真田幸村は上杉景勝の人質から、豊臣秀吉の人質として大坂に出仕した。のちに豊臣秀吉の家臣・大谷吉継の娘を正妻に迎えることとなる。
天正14年(1586年)、父・真田昌幸は佐久に侵攻。これに対して後北条氏が沼田城攻めを行う。
同年、豊臣秀吉の仲介で徳川・北条両氏と和解することとなった。そして、豊臣秀吉の命令で父・真田昌幸ら信濃の諸大名は徳川家康の与力衆となった。
翌天正15年(1587年)、父・真田昌幸は駿府で徳川家康と会見。また、大坂で豊臣秀吉に謁見した。これにより、名実ともに豊臣家臣となった。
天正17年(1589年)、豊臣秀吉による沼田領問題の裁定が行われた。後北条氏に利根川以東を割譲し、父・真田昌幸には代替地として伊那郡箕輪領を割譲された。
しかし、同年11月に後北条氏家臣の猪俣邦憲が名胡桃城を攻めた。このことが惣無事令違反とみなされ、後北条氏に対する小田原征伐の原因となる。
天正18年(1590年)、小田原征伐。
文禄元年(1592年)、文禄の役。父・真田昌幸は豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して、肥前名護屋城に在陣。
文禄3年(1594年)11月2日、真田幸村は豊臣氏名義で従五位下左衛門佐に叙任される。
文禄5年(1596年)、慶長の役。
慶長3年(1598年)8月18日、豊臣秀吉死去。
秀吉死後、豊臣政権において五大老筆頭の徳川家康が台頭する。
第二次上田合戦(関ヶ原の戦い)
慶長5年(1600年)7月、五大老筆頭の徳川家康は、出仕を拒否する大老・上杉景勝に対し、在京の大名諸将を従えて討伐軍を起こし、会津へ向けて東海道を下る。真田昌幸、長男・信幸、次男・幸村もこれに従う。
一方、大坂では徳川家康の留守中に五奉行の石田三成が挙兵した。諸大名に徳川家康弾劾の書状を送るなど多数派工作を開始する。真田昌幸は下野国犬伏で書状を受け取った。石田三成とは宇田氏を通じて姻戚にあった関係から、真田昌幸は幸村と共に西軍に与し、上田城へ引き返す。長男の信幸は妻が徳川氏家臣・本多忠勝の娘(小松殿)であるところから、そのまま徳川方の東軍に属すこととした。
徳川方の東軍は東海道と中山道を分かれて進軍することとなる。徳川家康の嫡男・徳川秀忠率いる徳川軍の先鋒部隊およそ3万8000の大軍は、真田昌幸の居城・上田城を攻略するため中山道を進んだ。
真田昌幸・幸村は2000の兵と、町人、農民とともに、上田城に篭城して、これを迎え撃つ。
同年9月6日、徳川秀忠率いる徳川軍が、真田昌幸の居城・上田城攻略を開始。関ヶ原の戦いの前哨戦である第二次上田合戦が行われた。徳川軍は寡兵の真田勢による奇襲戦法などにより、多大な損害を被る。
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徳川秀忠は、徳川家康から美濃への着陣を促され、上田城攻略を諦める。しかし、関ヶ原の戦いの主戦である美濃関ヶ原での決戦には間に合わなかった。w
同年9月15日、関ヶ原の戦い。
本戦の関ヶ原の戦いでは、石田三成率いる西軍は敗れ、徳川家康率いる東軍が勝利した。
この戦いにおける戦後処理において、真田昌幸と幸村に対する処分は、上田領没収と切腹は免れないものと思われたが、東軍に属した長男の真田信幸の助命嘆願により、赦免され高野山での蟄居を命じられた。上田領は真田信幸に与えられた。
関ヶ原の戦い後、取りつぶされた大名家の家臣は五十万人と言われている。全国で牢人が溢れた。
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ヨッコイショ _| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○
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し' ̄(_)) ̄(_)) ̄ ̄(_)) ̄ ̄(_)) ̄ ̄(_)) ̄ ̄(_)) ̄ ̄(_))
九度山にて蟄居 (´・ω・`)ショボーン
同年12月、真田昌幸と幸村は紀伊高野山山麓の九度山にて蟄居。本来であれば、高野山配流であったが、幸村が妻子を伴っていたため、高野山の女人禁制の関係で九度山に変更された。
真田昌幸と幸村家族、そして家臣十六家族を合わせ五十名、九度山の真田庵における生活が始まった。
真田昌幸と幸村は、国許の上田から援助を受けつつ、真田紐を作り暮らした。
その真田紐を、付き従う家臣達が諸国で販売しながら、情報収集にあたった。
慶長16年(1611年)、蟄居から十一年。真田昌幸は死去。享年65。
慶長17年(1612年)、真田幸村は出家、伝心月叟と名乗った。
幽閉十四年目の九度山脱出、大坂城入城
慶長19年(1614年)、方広寺事件。豊臣秀頼が作った京都・方広寺の大仏の鐘にある「国家安康」の文字に対し、徳川家康は「国家安康」は家康の名を分断して呪詛する言葉と、言いがかりをつけた。これをきっかけに、徳川氏と豊臣氏の関係悪化が深刻となる。
徳川氏と豊臣氏の対立は深まり、もはや徳川幕府軍が攻めて来ることは明白となる。
しかし、豊臣氏は加勢を頼むにも、大名の加勢は全く期待できない。よって、関ヶ原の戦いで西軍に組みし、取りつぶされた大名家の元家臣を中心に腕に覚えのある牢人を集める以外無かった。
豊臣氏は九度山の真田幸村にも使者を派遣し、黄金200枚、銀30貫を贈り、加勢を頼んで来た。真田幸村は国許の上田にいる父・真田昌幸の旧臣たちに参戦を呼びかけた。
そして、真田幸村は真田庵の地元の民の協力の下、徳川氏が監視する九度山を脱出し、子の大助幸昌とともに大坂城に入城した。
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入城した際の真田幸村の容姿といえば、白髪交じりで、歯は抜け落ち、腰も曲がった小男で、門番に山賊と勘違いされたようだ。w
大坂で真田幸村の率いた軍は、鎧を赤で統一され、「真田の赤備え」と呼ばれた。
大坂冬の陣、真田丸
大坂冬の陣を前に、真田幸村は毛利勝永らと、当初籠城に反対し、京を抑え、宇治・瀬田(宇治川の瀬田橋付近)において迎え撃つよう主張した。しかし、結局城側は、籠城の策に決定する。
そこで、真田幸村は大坂城の弱点である三の丸南側の玉造口外に、真田丸と呼ばれる土作りの出城を築いた。
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣。豊臣軍十万、徳川軍二十万の合戦。
出城・真田丸における戦いは、城外の徳川軍の前に出た鉄砲隊が、徳川軍に鉄砲を撃ちかけ挑発し、城内に戻る。鉄砲隊を追って来た徳川軍に対し、城内から罵声を浴びせる。大勢の徳川軍が真田丸に引き付けられたところを、鉄砲が一斉に攻撃する。
この戦法により、真田幸村は越前松平勢、加賀前田勢等を中心とする徳川軍に対し大打撃を与えた。
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その後、徳川軍と豊臣軍は冬の陣の講和を行う。
両軍の講和を受けて、大坂城の堀の埋め立てが行われる。真田丸は徳川軍により真っ先に取り壊された。
慶長20年2月、徳川家康は真田幸村の叔父・真田信尹を、真田幸村への使者として派遣し、「信濃の中で一万石を与える」と、寝返るよう説得させた。真田幸村はこれを断った。
徳川家康は再び真田信尹を使者として差し向け、「信濃一国を与える」と説得させた。真田幸村は、これに対しても、「この信繁、一万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか」と再びはねつけた。
大坂夏の陣、
徳川家康をあと一歩まで追い詰める
翌年、慶長20年(1615年)4月26日、豊臣方の大野治房の一隊が、筒井定慶の守る大和郡山城を落とす。4月28日から5月6日まで、堺攻防戦。大野治長らは徳川方の兵站基地であった堺を攻撃。4月29日、樫井の戦い。塙直之、淡輪重政らが一揆勢と協力して紀州の浅野長晟を攻撃。
5月6日、道明寺・誉田合戦。豊臣勢が大和路から大坂城に向かう幕府軍35,000を迎撃。後藤又兵衛隊2,800は、伊達政宗、水野勝成ら2万以上の敵勢に集中攻撃を受け壊滅、後藤又兵衛は討死。明石全登、薄田兼相ら3,600の兵も小松山を越えた徳川軍と交戦、薄田兼相らが討死。そこへ真田幸村、毛利勝永ら12,000の兵が到着、真田隊が銃撃戦の末に、伊達政宗隊の先鋒片倉重長隊の進軍を、一時的に後退させた。しかし豊臣方は木村重成の6,000の兵と長宗我部盛親、増田盛次ら5,300の兵が、河内路から大坂城に向かう徳川本軍12万を迎撃した八尾・若江で敗戦。木村重成は討死。豊臣軍は主だった武将が討死し、大坂城に一時撤収した。
真田幸村は、その撤収の際に、
「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」w
と、徳川軍を嘲笑しながら馬に乗り、悠然と撤収した。
真田幸村は、敗色が濃厚となり、疲弊した豊臣軍の士気を高めるため、豊臣秀頼自身の出陣を求めた。しかし、淀殿や側近衆に阻まれ失敗。
真田幸村は、毛利勝永と共に最後の作戦を立てる。
四天王寺・茶臼山付近に、右翼に真田軍、左翼に毛利勝永軍を陣形し、射撃戦と突撃を繰り返し、徳川軍の主力を引き付けて、徳川家康の本陣を孤立させ、別動隊である明石全登の軽騎兵団に戦場の背後を迂回させ、家康本陣を横撃させる。という作戦だ。
しかし、正午頃に徳川軍の突撃が開始されると、あせった毛利隊の前面諸将が射撃を開始して応戦してしまったため、作戦通り徳川軍を十分に引き付けることができず、作戦を断念せざるを得なくなる。
(´・ω・`)
天王寺口は真田幸村、毛利勝永など14,500。 岡山口は大野治房ら4,600。 別働隊として明石全登300、全軍の後詰として大野治長・七手組の部隊計15,000が布陣。
一方、幕府方は、大和路勢および浅野長晟40,000を茶臼山方面に、その前方に松平忠直15,000が展開。 天王寺口は本多忠朝ら16,200が展開し、その後方に徳川家康15,000が本陣を置いた。 岡山口は前田利常ら計27,500。その後方に徳川秀忠23,000が本陣を置いた。
真田幸村率いる真田勢は、徳川軍の正面から徳川家康の本陣めがけて決死の突撃を開始した。左翼からは毛利勝永、明石全登らも突撃を開始した。
真田勢は正面の越前松平勢を蹴散らし突破、毛利勢にかかりきりの徳川勢の隙を突き、もの凄い勢いで徳川家康の本陣まで攻め込んだ。本陣では屈強な旗本勢を蹴散らし、徳川家康の馬印を倒し(馬印が倒されたのは三方ヶ原の戦い以来二度目)、本陣を攻めに攻めた。総大将である徳川家康を残して逃走した旗本衆も数知れず。凄まじい真田勢の勢いに、徳川家康は自害を覚悟したほどであった。w
しかし、多勢に無勢であることには変わりなく、数で勝る徳川軍は形勢を立て直し、真田勢を力技で押し返す。真田勢は後退を余儀なくされた。
そして、真田幸村は四天王寺近くの安居神社境内で、負傷兵を看病していたところを徳川軍に襲われ、討死した。享年49。
。・゚・(ノД`)・゚・。
午後三時頃には、豊臣軍は大激戦の末に多くの将兵を失い、ほぼ壊滅状態となった。そして、毛利勝永の指揮により、豊臣軍は大坂城内に総退却した。
本丸以外の堀を埋められ、裸同然の大坂城に徳川軍が殺到する。徳川軍が城内に続々と乱入。さらには大坂城本丸内部で内通者による放火により、天守にも燃え上がる。京からも大坂の空が真っ赤に染まって見えたという。
5月7日深夜に大坂城は陥落した。
翌5月8日、脱出した千姫による助命嘆願も無視され、
豊臣秀頼・淀殿母子は大坂城内の籾蔵の中で、毛利勝永の介錯により自害した。
ここに、大坂夏の陣は徳川方の勝利に終わった。
(´・ω・`)ショボーン
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☆
家康本陣を守備していた藤堂高虎の一代記「高山公実録」
「御旗本大崩れ」w ざまぁ~w
細川忠興
「左衛門佐、合戦場において討ち死に。古今これなき大手柄。」
島津家の「薩藩旧記」
「真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由、徳川方、半分敗北」、「家康が切腹も考えるほどだった」
大久保彦左衛門
「三方ヶ原にて一度御旗の崩れ申すより外、後先の陣にも御旗の崩れ申す事なし。いわんや七十に成らせられて、収めの御ほうどうの崩れては、何の世に恥をすすぎ成さるべきか」
☆
伊達家重臣・片倉小十郎重長 (・∀・)イイ
真田幸村には多くの子がいた。
大坂夏の陣の決戦の前に、真田幸村は最愛の娘・三女阿梅の命を救うため、大坂の役の好敵手である伊達家重臣・片倉小十郎重長の陣地に預けた。後に、三女阿梅は片倉小十郎重長の妻となる。片倉小十郎重長の元には、阿梅の姉達や、後に元服し片倉守信となる次男の大八(真田守信)らが保護された。
次男の大八(真田守信)の仙台真田家は、真田幸村の公式に残る唯一の家系である。片倉姓から真田姓に復したのは守信の子・辰信からである。
尚、嫡男の大助(真田幸昌)は、大坂夏の陣・敗戦の際に大坂城にて自害した。
☆
大坂城落城により、この地に・・・私の先祖
私の祖父の先祖の一人に、「大坂城落城により、この地に来た。」と、記録を残す、フルネームが分かっている先祖がおります。歴史上の人物でも何でもない、その人物が大坂夏の陣で生き残り、何を思ってその地に来たのか。
その地とは、伊達藩が支配する土地でした。
思い起こすと、
真田幸村が伊達家重臣・片倉小十郎重長に、三女阿梅をはじめ何人かの子供を預けたこと。片倉家が大坂夏の陣以降、君主を失った真田家の家臣を保護していたこと。
などが、思い返されます。
また、伊達氏が隙あらば天下を狙える武将であったこと。伊達氏が真田家の家臣を保護していたという事実。そして、片倉家に保護された真田幸村の子孫を守り、お家再興のために、真田家旧臣であった多くの牢人が伊達領に集まっていたのではないかという憶測など。w
ということで、ウチも真田と何か関係があるのでは、なんて思っちゃうわけですが、
しかしながら、片倉家の白石城とは遠く離れた、北部の米どころの地域に落ち延びており、実際はどうなのか分かりませんが、おそらく関係ないでしょう。w
まあ、
その先祖が、大坂夏の陣で生き残ってくれたことで、現在、私が存在します。それは間違いありません。w
(´・ω・`)
これとは別に、祖母の先祖は、鎌倉時代に幕府内の内乱で、北条氏に一族が滅ぼされ、鎌倉からこの地に落ち延びました。源義経のように、平泉に頼ろうとしたのかもしれません。この内乱は、大河ドラマ「時宗」にも、一族が滅ぼされたシーンがありました。渡辺謙が憎たらしくてたまりませんでした。この一族は桓武平氏から続く氏族でしたが、生き残った者も鎌倉や領地の半島を追われ、ちりじりバラバラになってしまいました。その後、一部の分流が盛り返して、江戸時代にはゆかりの地で大名となりました。一方、私の先祖は氏族ではあるものの、江戸時代も農民であったようです。蔵には鎧兜などあったそうですが、泥棒に盗まれた物も多いそうです。なんだかなー。返せよ。まったく。あ~あ。w
┌─┐
│も│
│う│ トクガワイエヤス、ゴルァー、ウルァー
│来│ コズルイマネスンナヨ、チクショー
│ね│ オボエテヤガレ、オタンコナス
│え│ ナニガナンデモ、オチノビルゾ
│よ│ オチムシャハ、ツレーナー
バカ ゴルァ │!!│
└─┤ プンプン
ヽ(`Д´)ノ ヽ(`Д´)ノ (`Д´)ノ ( `Д)
| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─□( ヽ┐U
~ ~  ̄◎ ̄ . ̄◎ ̄  ̄◎ ̄ ◎->┘◎
☆
☆
NHK「歴史秘話ヒストリア」
「真田幸村 ザ・ラスト戦国ヒーロー ~伝説に秘められた誇り~」
【本放送】2009年8月26日(水)22時00分~22時43分 NHK総合
【再放送】2009年9月2日(水)8時15分~8時58分 NHKBS2
【再放送】2009年9月2日(水)16時05分~16時48分 NHK総合
エピソード1 九度山紀行 幸村の伝説と実像
エピソード2 生き過ぎた?戦国武士たちの戦い
エピソード3 赤備に込めた覚悟
☆
NHK「その時歴史が動いた」
2003年4月9日放送 「真田幸村 どん底からの挑戦 ~家康を追いつめた伝説の名将~」
2006年11月22日 「我が手に郷土を ~真田昌幸・信州上田の市民戦争~」
2008年6月25日放送 「戦国の「ゲルニカ」 ~大坂夏の陣、惨劇はなぜ起きたのか~」
☆
☆
日本のゲルニカ (´・ω・`)
大坂夏の陣図屏風(大阪城天守閣所蔵)
自らも大坂の役に参戦した黒田長政が、絵師を集めて描かせた屏風絵。
大坂夏の陣図屏風・左隻には、徳川方の雑兵達が大坂城下の民衆に行った乱暴狼藉が詳細に描かれている。
雑兵達が民衆に襲い掛かり、偽首を切り取る様子や、身包み剥がし略奪を働いている様子、女性を手篭めにする様子など、目を覆いたくなる様子が描かれている。
記録によれば、大坂夏の陣では一万数千の首が取られた。偽首を取るために殺害された民衆は数えきれない。また、奴隷狩りに遭った者の数は、大人から子供まで数千人に達した。
☆
男、女のへだてなく
老ひたるも、みどりごも
目の当たりにて刺し殺し
あるいは親を失ひ子を捕られ
夫婦の中も離ればなれに
なりゆくことの哀れさ
その数を知らず
以下、大坂夏の陣図屏風・左隻(大阪城天守閣所蔵)より。(Public domain)
溺れる~。ほらっ、シッカリしろ。頑張れ。
急げ、急げー。
逃げろ、逃げろー。
ようよう、ねーちゃん、オラとあっち行こうか。お馬さんに乗せちゃるけ。イッヒッヒw
キャー!!! ヤメテー!!! 助けて━━━\(;゚Д゚)/━━━!!!
逃げろ、逃げろー。あれっ、帯を解かれている男が・・・。
身ぐるみ剥いで、とは、このことか・・・。裸で着物を差し出す女も・・・。
よ~よ~、ねーちゃん、オラ達について来なよ。こりゃ、上玉だ。おい、オレが先に見つけた。いや、オラが先だ。w
キャー、助けてー!!! 堪忍してー、キャー!!! ヤメて━━━\(;゚Д゚)/━━━!!!
負けるということは、こういうことか・・・。
(´・ω・`)カワイソス
コラッ、雑兵ども、許さんぞ
(; `Д´)ノ
☆
YouTube - 大坂夏の陣図屏風の世界【黒田屏風】 大坂の役 大阪の陣 http://www.youtube.com/watch?v=89xgfjIM_tE
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関連DVD・書籍・グッズ (・∀・)イイ
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「花の様なる秀頼様を、鬼の様なる真田がつれて、退きものいたり鹿児島へ」
☆
司馬 遼太郎の「城塞」(上、中、下巻)と、高野山・蓮華定院のパンフレット。
蓮華定院は高野山真言宗の寺院。真田家の菩薩寺。真田昌幸・幸村が和歌山県九度山町に屋敷(真田庵)を建てて移り住むまで、お世話になった寺院。宿坊できます。w
家族が高野山へ旅行した際に、こちらで宿坊したことがあります。1泊2食付で12000円くらいだったそうです。w
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* Y Y *
きた~~~~~~~~~
真田幸村、きた~~~~~~~~~~~~!!
好きです♡
でも、女性から一番人気とは知りませんでした
by a_aki (2009-08-30 17:58)
大坂夏の陣図屏風は笑ってしまいました。
マグカップはつや消しで渋いですね。
歴史物、お好きなんですね!勉強になります。
by こういち3 (2009-08-30 22:42)
上田市は通りましたが結婚式に行く途中なので幸村の墓参りはしませんでしたが、今度行ってきます。近年の不惜身命男は若乃花ですね。
by 旅爺さん (2009-08-31 05:37)
時代に翻弄された生涯だったのですね。
私の町にも、この子孫と思われる一族がいます。
菩提寺が私と同じで「真田一族之墓」という共同墓地があったりします。
勿論、六文銭の家紋です。
>全国で牢人が溢れた。
囚わて牢屋に入れられたのであればそれであっていると思いますが、「浪人」ではないですか?
あと「身ぐるみ脱いで、とは、このことか・・・」は、「身ぐるみ剥いで、」ではないかと思います。
>旅爺さん
「不惜身命」を横綱昇進伝達の時の口上に使ったのは、弟の貴乃花です。
因みに大関昇進の時は「不撓不屈」です。
若乃花の場合、大関昇進の時は「一意専心」、横綱昇進の時は「堅忍不抜」、貴ノ浪の大関昇進の時は「勇往邁進」です。
by 北海道大好き人間 (2009-08-31 13:58)
すごいですね。
真田幸村
by thaler (2009-08-31 15:38)
>>a_akiさん
nice!とコメントどうもありがとうございます!
a_akiさんも真田幸村がお好きなのですねー。うれしいです。w (^ω^)b
テレビ東京の「決着!歴史ミステリー」か何かで、人気№1ということで紹介されておりました。やはり、裏切りや寝返りなどとはほぼ無縁の、一貫した忠義のポリシーと、巧みな戦略などで弱者が強者に対抗し、不利な状況を打破して、勝利に結びつけようという、諦めない心意気などが、多くの人をひきつける魅力となっているのでしょうね。w (´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-08-31 18:17)
>>こういち3さん
nice!とコメントどうもありがとうございます!
大坂夏の陣図屏風は右隻と左隻があり、右隻には合戦の様子が描かれ、左隻には逃げ惑う大坂の人々の様子が描かれております。w (^ω^)b
大坂夏の陣図屏風・左隻は戦国のゲルニカといわれている通り、目を覆いたくなるような、当時の悲惨な状況が描かれており、後世への何かのメッセージであるような気がします。画像では紹介しておりませんが、もっと酷いシーンがいっぱいあります。実物を見たら涙が出るでしょう。まあ、今回はこんな感じじゃないかなと、ちょっとだけ状況説明とセリフを入れてみました。w (´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-08-31 18:19)
>>旅爺さん
nice!とコメントどうもありがとうございます!
上田城は真田幸村ゆかりのお城ですね。真田昌幸が二度も徳川軍を敗退させた名城です。w (^ω^)b
上田城には真田幸村の墓所というか供養碑は無いようですね。有名なのは、松代藩真田家の菩提寺である長野市の長国寺ですが、幸村の子供たちが各地で建てたものもあるようですね。w (´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-08-31 18:21)
>>北海道大好き人間さん
nice!とコメントどうもありがとうございます!
真田氏は元々武田の旧臣でもありましたから、甲斐の国にもイパーイ一族の方がいらっしゃるのでしょうね。w (^ω^)b
「浪人」と「牢人」は、あらかじめ調べました。どちらも正しいので、イメージ的に大学浪人の「浪人」と区別されるように、「牢人」を用いました。「身ぐるみ脱いで」は、用法的には「身ぐるみ剥いで」が一般的なのかもしれませんが、「脱いで」が使われる場合もあると思います。見ていただければ分かるように、町人の男性は無理やり帯を解かれ小袖を剥がされようとしておりますが、一方女性は自ら着物を脱いで、雑兵に渡そうとしております。ということで、状況的に何となく「脱いで」ではないかと思いました。まあ、どちらでも良いので変更しておきますね。w (´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-08-31 18:23)
>>thalerさん
nice!とコメントどうもありがとうございます!
真田幸村軍団の赤備えはとってもカコイイですよねー。赤備えに揃えることで、団結力を増強させ、華々しく派手な戦にしようとしたのでしょうね。w (^ω^)b
朱色に統一するということは、当時としては非常に費用がかかっているものと思われます。それだけ覚悟の戦だったのでしょう。w (´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-08-31 18:46)
>>のり君さん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-08-31 21:49)
>>kakasisannpoさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-08-31 21:52)
>>kimikoさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-08-31 21:55)
>>mydreamtodayさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-08-31 21:56)
>>shinさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-08-31 21:57)
>>Mariaさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-08-31 21:59)
>>いとおさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-08-31 22:01)
>>龍之介さん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-08-31 22:02)
真田幸村と言うと、真田十勇士、猿飛佐助を思い出します。
かなり手こずらせて、凄い忍者でしたね。
他は、兄弟で敵と見方に分かれて戦わなければならなかった悲劇ですね。
by せつこ (2009-08-31 22:28)
いや〜、読み応えありました。
司馬遼太郎さんの「城塞」は読んだはずなのですが、大分忘れているようで改めて真田幸村について復習できました。ありがとうございました。
私の父の名前が昌幸であり、祖父の名前にも「隆」の字が含まれるので、非常に親近感を一方的に覚える武将なのです(残念ながら私の名前に幸村は一文字たりとも含まれませんが・・・)。
一度モッズパンツさんとはリアルで酒でも飲んで語り明かしたいです。
色々濃いお話ができそうで(笑)。
by Ryo (2009-08-31 23:09)
サナダといえば、
サナダ虫しか思い浮かびませ・・・ウッ!(≧Д(O=(▼皿▼メ)ボコッ!!
ズッ・ズビバゼンでじだ・・・(TДT(●)
真田幸村が歴女に人気があるのですか?
やっぱり、あれですね、戦国BASARAのせいですかね。
ちなみに、私は日本史では平賀源内が大好き(崇拝者)ですw
by さくママ (2009-08-31 23:32)
>>せつこさん
nice!とコメントどうもありがとうございます!
真田十勇士の物語は、江戸中期から現在まで、長く庶民に愛されて来たお話ですよね。私の世代で真田十勇士というと、子供の頃に見たNHKの人形劇「真田十勇士」を思い出します。w (^ω^)b
関ヶ原の合戦を前に真田兄弟は西軍と東軍に分かれましたね。これは一族が戦国の世を生き抜いて行く知恵といえますね。w (´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-01 06:09)
>>Ryoさん
コメントどうもありがとうございます!
そうおっしゃって頂けるとトテーモうれしいです。私も司馬遼太郎さんの「城塞」を読んだのは、十年位前でしょうか、ずいぶん前のことです。今回の記事を書くにあたり、ちょっとだけウェブなどで勉強させて頂きました。あらためて真田幸村の心意気に惚れちゃいましたねー。w (^ω^)b
おー、それは親近感を覚えますね。いいですねー。いつか飛行機や歴史の話などもろもろ酒の肴に、ご一緒にお酒を飲める日が来ると良いですね。w (´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-01 06:12)
>>さくママさん
nice!とコメントどうもありがとうございます!
寄生虫のサナダムシの名前の由来は、真田氏が作り売っていた便利物の真田紐によく似ていることから、その名前がついたそうです。そういう意味では真田氏とはある意味関係が深いですね。w (;^ω^)b
そうそう。あまりよく知りませんが、戦国BASARAは歴女の増殖原因の一つといえますね。平賀源内といえばエレキテルを日本に紹介した、江戸後期の天才ですね。面白そうですねー。w (´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-01 06:15)
>>optimistさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-01 06:16)
>>NOBUさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-01 06:17)
>>ミスター・ピッチサイドさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-01 06:18)
幸村は長野市の長国寺でしたか。
友人が居るので尋ねたときにでもお参りして来ます。
by 旅爺さん (2009-09-01 07:05)
明日、今は隣町上田市の一部となった真田の庄に行ってきます\(⌒▽⌒)/
予備知識はここで勉強させていただきました( ̄▽ ̄;A
by Tad (2009-09-01 12:24)
>>旅爺さん
戦国武将のゆかりの地を訪ね歩くのも面白そうですね。私もいつか行ってみたいです。w (´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-01 22:11)
>>調布のおじさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-01 22:12)
>>Tadさん
nice!とコメントどうもありがとうございます!
そうなんですよね。Tadさんは、すぐお近くにお住まいなのですよね。実はず~~~っと、真田氏や上田城に関する記事を待っておりました。w (^ω^)b
ゆかりの地にの面白いものをイロイロご紹介して下さい。写真をイパーイ撮ってきて下さいね。楽しみにしております。w (´∀`)ノ
∧_∧
( ・∀・) 真田幸村のゆかりの地の近所 イイ
oノ∧つ⊂)
( (0゜・∀・) 真田の庄の記事、楽しみ ドキドキ
∪(0゜∪ ∪ ハヤクー ハヤクー マダー
と_)_) ワクワクテカテカ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-01 22:15)
あ~、もう少し歴史の勉強ちゃんとやっとけばよかったな・・・。
by B-H (2009-09-02 09:55)
>>ムネタロウさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-02 18:07)
>>釣られクマさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-02 18:08)
>>B-Hさん
nice!とコメントどうもありがとうございます!
私も学生時代はそれほど歴史に興味が無かったので、あまり勉強しておりませんでした。w (^ω^)b
しかし、30代半ば中年となり、なぜか歴史物に興味が湧いて来ましたね。食事の好みが変わってきた頃とほぼ同時であったと思います。これは私だけではなく、そういう方が多いようですね。不思議ですねー。w (ノ∀`)アチャー
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-02 18:09)
>>Shoueiさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-02 22:16)
>>ponchiさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-02 22:29)
>>麻里圭子さん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-02 23:55)
行ってきました(;´・`)>
近々ネタにしたいと思ってますが、八王子ナンバーのクルマで行ったただの観光旅行でした(^-^;
by Tad (2009-09-03 08:57)
>>Tadさん
八王子ナンバーというと、北条とか徳川という感じで、上田ではよそ者に写るかもしれませんね。w (^ω^)b
正座して更新を待っております。w (´∀`)ノ
☆ チン マチクタビレタ~
マチクタビレタ~
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・) < 真田氏や上田城に関する記事
\_/⊂ ⊂_ ) \ ハヤクー ハヤクー マダー
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| \_________
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 真田まんじゅう|/
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-03 23:25)
>>応援ポチ絶対実行!さん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-03 23:27)
>>Flatoutcoolさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-03 23:28)
>>katsuyukiさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-04 00:25)
秀忠を上田城に釘付けにしたくだりとか痛快ですよね。
そういや数年まえまで玉造の真田山の近くに住んでました。
こういう歴史の舞台に事欠かないのが関西の魅力かも。
by サダー (2009-09-04 01:19)
美化されすぎた戦国武将なんて歴女の妄想だけにしておいて欲しいです。
白髪で歯抜け腰曲がりの幸村を希望。ww
はやくタイムマシンが出来るといいなぁ。
by moonrabbit (2009-09-04 05:34)
おはよう御座います。
昨日はテレビで真田幸村のいろんなことが紹介されてました。
戦の名人でしたね、生きて居たら総理大臣になったでしょう。
by 旅爺さん (2009-09-04 06:05)
>>サダーさん
nice!とコメントどうもありがとうございます!
巧みな戦法で小が大に勝ってしまう、上田合戦はスゴイですよねー。さすがは戦さ上手の真田ですよね。w (^ω^)b
真田山の近くにお住まいだったのですか。いいなー。大阪には真田幸村ゆかりの地がイパーイありますよね。あらためてイロイロ見て歩きたいですねー。w (´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-04 18:39)
>>moonrabbitさん
nice!とコメントどうもありがとうございます!
さっそくキツイ一言来ましたねw。まあ確かに、戦国BASARAあたりの真田幸村は若いイケメンですし、かなーりカコ良過ぎますね。w (^ω^)b
やっと来ましたねw。どなたがツッコんで来るか、待っておりましたw。白髪、歯抜け、腰曲がりの小男の部分まで詳しく読んで頂けてうれしいです。タイムマシンで戦国武将を見に行きたいですね。w (´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-04 18:41)
>>旅爺さん
NHK「歴史秘話ヒストリア」の真田幸村特集の再放送ですね。もし、大坂方が勝利していたら、最大の功労者の一人として、間違いなく大大名になっていたでしょうね。今でいえば、総理大臣でしょうか。w (´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-04 18:43)
>>Lobyさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-04 18:44)
>>アマデウスさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-04 18:45)
TBさせていただきましたm(_ _)m
by Tad (2009-09-04 20:22)
>>Tadさん
/■\ TB了解致しました。
( ´∀` ) 真田の庄と上田城の記事、
/ ヽ 大変勉強になりました。
し、_X_ ノJ
/´⌒⌒ヽ
l⌒ ⌒l どうもありがとうございます。
⊂ ( ) ⊃
\■/
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-04 22:35)
>>アスさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-05 18:09)
>>naonaoさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-05 18:09)
>>JUNeさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-06 15:15)
>>トメサンさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-06 15:16)
>>yutakamiさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-06 15:17)
>>fumilinさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-08 06:53)
>>おりおん星人18号さん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-10 23:37)
サナダ虫の由来、初めてしりました(^^;)
by さくママ (2009-09-16 00:42)
>>たいせいさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-16 06:40)
>>さくママさん
寄生虫博物館で勉強して来たのかと思いましたw。真田紐は袋状になっている紐なので、その辺がよく似ていたそうです。w (;´∀`)ノ
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-16 06:41)
>>sakuran-ponさん
nice!とコメントどうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-09-28 22:52)
>>無一物中無尽蔵さん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2010-01-18 07:06)
>>kurakichiさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2010-01-28 22:34)
>>sungenさん
nice!どうもありがとうございます!
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2010-02-03 22:31)